こんにちは! Sena(@Sena_StaySalty)です。
全世界がタフな状況に面していますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
こんなときにのんきに旅行記を書いている場合じゃないと思ってしばらく更新していなかったのですが…3月22日に帰国致しました。
数多くの読者様がいるわけではないし、Twitterの方では帰国の報告をしたので記事にはしていなかったのですが、自分の記録の意味も込めて書いていこうと思います。
文字数多めこってり目の記事です。笑
私たちの旅とコロナウイルス
- 01/13
私たちが期限のない旅として、タイへと出発したのがこの日。
皮肉なことに、中国以外の国では初めてとなる感染者がタイで発見された日。 - 01/16
日本でも感染者が確認される。 - 01/20
ヒトーヒト感染が確認されたこと、コロナウイルスによる死者の報道が出る。
日本では中国人への警戒心、諸外国ではアジア人への警戒心が高まっていった。
正直私も、同じ宿に中国人が泊まってると少し警戒してた。ごめんなさい。 - 01/25
タイの自然豊かな観光地を巡っていた私たち。
マスク着用率は低く、私たちも着用していなかったし、外出にためらいもなかった。けど、武漢からの旅行者の感染例が世界中で確認されていたため、中国人でないことを確認されるようになった。 - 01/31
WHOが国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態を宣言。
日本でマスクや衛生用品が品薄になっていったのもこの頃。 - 02/03-
日本ではダイアモンドプリンセス号のニュースと、誰かの不倫のニュースばかりになる。 - 02/10
狂犬病の最終ワクチンを受けにプーケットのバンコク病院へ。
今までいた圏外の観光地とは訳が違うと思い、公共の場へ出るときは(日本から持ってきていた)マスクをするように。
病院には、中国人専用入り口が設置されていました。
- 02/11
タイでのノービザ 期限を延長しに、プーケットはパトンビーチにあるイミグレへ。三密も三密。ひしめく多種多様な国の人たち。つばを巻き散らかして怒鳴り散らかすクレイジーな人たち。
今考えたら物凄い怖い空間だったな…。マスクをしているのはアジア人のみ。まだまだヨーロッパからの観光客がたくさんいた。
三密空間に1時間滞在したことを思えば、コロナへの警戒心や恐怖心はまだまだ薄かったな。
- 02/24
隣国、韓国で感染者が爆発的に増える。
Twitterでプーケットへの旅行を相談してくるひとがちらほらいて、「渡航を考えた方がいい状況。」と答えていたけど、感染しないように気をつけようという気持ちが強く、まだ自分が感染源と考えられる頭はなかったかも。
- 02/28
タイでできた友達に、「日本は検査全然してないけど大丈夫?」と心配される。世界の中で日本だけちょっと浮いた対応で(批判しているわけではないです)、日本人であることを声を大にして言いづらくなったのも、他の観光客の目が怖いなと思うようになったのもこの頃。 - 03/05
日本が中韓からの入国者全員を停留・隔離措置すると発表。
わたしたちはベトナムの観光ビザをオンラインで無事取得。
できる限り移動はしたくなかったけど、タイでの滞在期限が切れるので移動先に毎日頭を悩ませ、その時点で1番安全そうなベトナムに移動を決める。この時点では日本は危険だと思っていたし(今も思ってるけど)、帰国する選択肢は頭になかった。 - 03/13
ベトナムへ渡航。
この頃から、感染しないという意識はもちろん、自分が保菌者である可能性を念頭に「感染させない」行動を意識できるようになったと思う。ここにきてやっと。
ヨーロッパで感染者が増えていたため、空港のカウンターで止められているヨーロッパ人をたくさん見る。でも空港自体はガラガラ。飛行機も20%程度の乗船率。入国前に全員へ医療申告が義務付けられていたけど、特に問題なく入国。
飛行機に乗っている間に、私たちが短期間滞在予定だったホーチミン市の隣の市が外国からの観光客を一切受け入れないと発表。
- 03/14-
ベトナムではほぼ引きこもりのような生活を送る。
30度後半の気温でも、出かけるときは必ずマスクを着用してた。
この週末、友達がSNSにUPしていた平常運転の渋谷の映像を見て、日本に帰るのは最終手段にしよう…と強く心に決める。
- 03/18
東南アジア諸国で、感染者が急激に増加し始める。
日本からベトナムへの入国が事実上不可能になる。発表されてすぐ施工。 - 03/19-
毎日変わりゆく世界の状況に、自分たちがどうするべきか考えて、外務省のサイトや厚生労働省のサイトはもちろん、同じように旅をしている人のブログやインスタなどを見て、飛行機の運行状況から他国の対応等々ひたすら調べて調べて話し合って…中々眠れない毎日を過ごす。
そんな中ベトナム航空が3/23-4/30まで日本への往復便を完全運休すると発表。 - 03/21
翌日の便で日本に帰ることを決定、航空券を予約。
ちなみに、周りにいる観光客はロシア人がすごく多かった…というかほぼロシア人ばかりだったかも。 - 03/22
台北経由で沖縄へ帰国。
飛行機は80%が欠航していて、空港は閑散としてた。
マスクとゴム手袋をしている人、簡易的な防護服のようなものを身にまとう人…正直かなり異様な光景だった。
そんな中、これといったトラブルに見舞われず帰ってこれたことに感謝。
帰国を決めた理由
帰国を決断するまでに様々な思いがありましたが、私の中で1番大きかったのは
1ヶ月の観光ビザで、居住環境も整っていない中(ホテル住まいで自宅がないという意味で)、ベトナムから身動きが取れなくなったらどうなるのか。
ということへの恐怖心からでした。
このまま感染者が増え、経済が更なる打撃を受け、失業者が増え、治安が悪化したら…毎日目まぐるしく変わりゆく世界の情勢、そしてその到達地点が全く予想だにできないことが本当に怖かった。
つい1ヶ月くらい前までは旅先で出会った観光客とも、現地の人とも、「どこから来たのー?」みたいに気さくに会話ができたのに。今は旅先で出会う観光客とは互いを警戒しあい、現地の人は観光客である私たちを警戒し…心休まる場所がなかった。
かと言って、日本の友達のSNSを見れば集まる人、出かける人、普段と変わらない光景の渋谷…実家が東京の私は、正直帰国する方が危ないのではないかという思いも常に捨てられずに持っていました。
帰国を決めるまでの1週間くらいは、本当に何が正解なのか何が最善なのか…考えても考えても中々答えが出なかった。
Mariと一緒じゃなかったら、不安に押しつぶされてぺしゃんこになってたと思います。
でも結局、冒頭に書いたことが最大の理由となり、「東京ではない私たちが落ち着ける場所」=沖縄に帰国することを決めました。
沖縄に決めた理由は後述します。
2週間ホテルでの自主隔離を経て、賃貸契約をしひと段落したので、引き続き外出自粛中です。帰国してからも健康状態に問題はありません。
例えばこれが昨年の出来事だったとしたら。
オーストラリアにいて、自宅があって、車もあって、ビザの期限もたっぷり残っていて、国のどこにいても英語が通じて。恐らく違う選択になっていたと思います。
ちなみに私たちが帰国前に滞在していたベトナムは、5月8日現在、3週間続けて新規感染者が出ていません。確認済みの感染者も283人で留まり、死亡者もなんと0人。素晴らしい。若干の強引さは否めないものの、迅速かつ的確な判断と対応がベトナムでのコロナ蔓延をここまで留めたのだと思います。
それでも、1ヶ月しか期限のない観光ビザで留まり続けることなく、あのタイミングで帰国したことに後悔はしていません。
帰国場所を選んだ理由
まず第一前提として、海外に滞在しているときにコロナが蔓延した時点で、どのタイミングにどこに帰っても暖かい目で見られないであろうことは常に頭にありました。
Mariの実家はカリフォルニア、私の実家は東京。一時帰国などで短期滞在するときはどちらかの実家に2人一緒に滞在していましたが、今回の帰国は正直どのくらいの期間になるか予想もつきません。でも短期ではないことは明確でした。
私が観光ビザでしか滞在することのできないアメリカに行く選択肢はなかったので、日本に帰る選択肢のみ。
一時帰国で私の実家に滞在するときは、ほぼ物置と化している6畳もない狭い部屋に2人で滞在していました。笑
今回の滞在期間はきっと少なく見積もって1年…1年も6畳の部屋に2人で暮らすのは難しい…実家に帰る選択肢はなくなりました。
あとは、賃貸などの物価が高くない・ベトナムから帰国する飛行機も高くない・乗り継ぎも簡単で欠航の恐れが少ない・コロナが落ち着いて実家に行けるときが来たら簡単に行ける…などの条件で考えていった結果、合致したのが沖縄でした。
私たちが帰国したのはオリンピックの延期が発表されるよりも前で、入国審査もこちらが怖くなるくらい簡単なものでした。
こういう状況を実際目の当たりにしたからこそ、日本でそこまで爆発的な感染が起こっていないのが不思議でしょうがない。
このままこれといったピークを迎えず収束していくなら、それに越したことはないけれど…。
おわりに
私の自己満手記をここまで読んでくださった方…ありがとうございました。
このウィルスがどこから発生したのか、なぜ広がったのか…思うことはたくさんあるけれど、私はこれを地球の叫びと受け止めて、今しかできないことをやっていこうと思います。
世界的にタフな局面に差し掛かっているとは思いますが、また大切な人と簡単に会ったりご飯食べて笑いあったりする未来が来ることを信じて…いまは辛抱して乗り切りましょう!
楽しいことの復習予習…ポジティブに!
コメント